中学2年・脱毛とアトピーで思い出したくない日々。

今は本当に丹羽先生のおかげで、可愛い女の子になれて、そんないまだからこういうところに文章を書いて皆さんに読んでもらえると思っています。あの頃は本当に思い出すのもいやな気持ちになるくらい地獄の日々でした。

小さい頃からアトピーはあったのですが、小学校高学年になるにつけてだんだんひどくなり皮膚科にいってはステロイドをつけていましたがいっこうに良くならずに顔も体もぐちゃぐちゃに膿や腋が出るようになって、大学病院で強いステロイドを内服するようになりある日髪の毛までもがだんだん抜けて(その前からだんだん抜けて薄くなっていたのですが)ほとんどが抜け落ちてしまいバンダナをまいて襟足のところしか髪の毛が残っていなくて、そんな状態で必死に学校に行っていました。意地悪な男の子達から被爆者といわれてそれでも学校ではつらくても泣かないで、「泣いたらもう二度と学校に来る力が無くなってしまう。」と必死に自分に言い聞かせて戦っていました。そんな状態で体がつらいのと、精神的につらいこととで、本当につぶされそうになっていました。母は私がいじめにあっていることを、担任の先生になんとかしてもらおうと何度も学校に行ったりして私のために本当に心配をして心を傷めていました。

そんな時知り合いからアトピークラブの事を聞いて母が早速相談に行きました。話を聞いた三浦さんがすぐに新潟での土佐清水病院の診察を予約してくれて、夏休みを利用して早速、土佐清水病院に近くの民宿から(いつも病院のベッドが満床のためアトピーの患者は近くの土佐清水病院専用の民宿で、食事も病院指定のものが出る)11日間通院して体もつるつるになり、がさがさで鳥の手の様になっていた私の手もふっくらとつるつるになって、友人も近所の人も驚くほどきれいになって家に帰ることができました。その後もSODやTXを飲んで、本当に不思議でしたが髪の毛もどんどん生えてきて3ヶ月くらいたって三浦さんにあった時、ふさふさの真っ黒のおかっぱヘアー(ショートボブ)になっていて本当に別人のようになって「元からこんなに可愛い可愛い女の子だったんだね」と言って喜んでくれたのが本当に嬉しかったです。

もう今ではアトピーだった事も忘れるくらいですが、もうあの頃には絶対絶対戻りたくないので、アルカリの電解水で母は食事を作ってくれて、私もその水を飲み、食事のバランスにも気をつけてアトピークラブで言われたことを心の中で守っています。もし私のように年頃の女の子で同じ事に悩んでいたら絶対相談してみてください。そのために始めはいやだったけどもペンネームでこの文章をかきました。

ペンネーム:"今は可愛い女の子"さん(中2)

 丹羽式アトピークラブよりひと言

 ほんとにあなたは可愛い可愛い女の子でそして明るく積極的で勇気のあるとっても素敵なおんなのこです。ほんとにありがとう。

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